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平泉が世界遺産に選ばれたワケ

平泉には、お寺や庭園など、たくさんの歴史ある場所があります。でも、世界遺産にえらばれた理由は、それだけではありません。大切なのは、そこに込められた「思い」や「考え方」。
戦のない平和な社会をめざし、自然とともに生きようとした、むかしの人たちの“こころ”が、いまもこの町に生きているのです。

そもそも...世界遺産ってなに?

世界遺産は、地球がうまれてからずっとのあいだにできたすばらしい自然や、昔の人たちがつくった大切な建物や町などのことです。これらは、世界中のみんなにとっての「たからもの」で、今を生きるわたしたちが、未来の人たちにちゃんとのこしていくべきものです。

ユネスコという国際的な組織(そしき)は、1972年に「世界中のたいせつな自然や文化をまもろう」というルール(世界遺産条約)を決めました。このルールにもとづいて、世界のいろいろな国が協力しながら、世界遺産を守る活動をしています。

日本でも、日本ユネスコ協会連盟という団体が、みんなの力で世界遺産を守る活動をがんばっています。

世界遺産には
3つの種類があるよ!

文化遺産

むかしの人がつくった、すばらしい建物や町のあと、けしきなどを守るための世界いさんです。人のくらしや文化がよくわかるものです。

例:法隆寺、原爆ドーム、タージ・マハル(インド)、ピラミッド(エジプト)など

自然遺産

山や川、森などの自然がつくり出した、めずらしいけしきや、いきもののすみかを守るための世界いさんです。

例:屋久島、白神山地、タンザニアのキリマンジャロ国立公園、グランド・キャニオン(アメリカ)など

複合遺産

山や川、森などの自然がつくり出した、めずらしいけしきや、いきもののすみかを守るための世界いさんです。

例:マチュ・ピチュ(ペルー)、モン・サン=ミシェル(フランス)

平泉はどんな理由で
世界遺産にえらばれたの?

今からおよそ900年くらい前、平泉という町は、とても大きくてゆたかな町でした。その町をつくったのは「奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)」という人たちです。

藤原氏の人たちは、「みんなが平和にくらせる世界をつくりたい」と考えていました。そして、その気持ちをあらわすために、たくさんのお寺や庭をつくったのです。

たとえば──
中尊寺(ちゅうそんじ)には、金色にかがやく「金色堂(こんじきどう)」があります。これは、「いのちをたいせつにする心」を形にしたものです。
毛越寺(もうつうじ)のお庭は、自然の風景のように見えるように工夫してつくられました。「にんげんも自然の一部なんだよ」という考えがこめられています。

このように、平泉の建物や庭は、ただキレイなだけではなく、「人と人が争わないで、すべてのいのちが大切にされる世界をつくりたい」という願いがこめられているのです。

この思いと、それを伝える建物や景色が、今でもちゃんとのこっていて、「世界中のみんなにも知ってほしい、たいせつな場所だね」と、ユネスコがみとめて、世界遺産になったのです。

むかしむかし、平泉というゆたかでにぎわっている街がありました。その街をつくったのは「奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)」という人たちです。

藤原氏の人たちは、「みんなが平和にくらせる世界をつくりたい」とねがい、その気持ちをあらわすために、お寺や庭をたくさんつくりました。

たとえば、中尊寺(ちゅうそんじ)には、金色にかがやく「金色堂(こんじきどう)」があります。これは「いのちをたいせつにする心」を形にしたものです。

毛越寺(もうつうじ)のお庭は、自然の風景のように見えるように工夫してつくられました。「にんげんも自然の一部なんだよ」という考えがこめられています。

このように、平泉の建物や庭は、キレイなだけではなく、「人と人が争わないで、すべてのいのちが大切にされる世界をつくりたい」という願いがこめられていて、その思いと、それを伝える建物や景色をユネスコがみとめて、世界遺産になったのです。

平泉の世界遺産は、派手さではなく、心や思想が評価されたんだね。他の仏教文化圏と比べても特別なまちづくりだったようだね。地域の人たちがまちや文化を大切に守ってきた努力も評価されたんだね。

登録までの道のり

歴史

世界遺産は「見るため」だけではなく「守るもの」でもあるよね。過去の思いや歴史を知ることで、未来にどうつないでいくのかを考えるきっかけになるといいね。

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